2008年10月15日水曜日
008 ストレイト・ストーリー
主演:リチャード・ファーンズワース
1999年 アメリカ
傑作ですね。
デヴィッド・リンチ監督は、ちょっと気味の悪い不思議な映画を作る作家として知られていますが(僕は大好き!!)、この作品は唯一、フツーの映画です。
いわゆる、「リンチらしさ」がほとんどないけれども、深い人間愛に溢れた感動的なストーリーになっています。
この作品から学べる事は、
年を重ねた人の言葉の重さ、説得力の強さ
ではないでしょうか。
アルヴィン翁の語る言葉はどれも深く含蓄のあるものばかりですが、同じ言葉を僕みたいな30半ばの若造が語るのと、彼のような味のあるお爺様に語らせるのでは、説得力がまっっっったく違う。
例えば、ある製品やサービスの感想を生々しく感動的に語っていただくとか、1964年に子供時代や青春時代を送った方々に2016年東京オリンピックの宣伝に出てもらったりとか、年配の方々にご活躍いただくと、効果的なメッセージを提供できる場合があるかもしれません。
食品や健康製品は既定路線でありとして、英語もの、ゲームもの、アニメもの等、ご老人と結びつかない商品・サービスだと話題性も出て来る気がします。
ここに、これからの社会のあり方が垣間見えるような気がしました。
これから日本は老人社会に突入しますよね。
その時に、年配の方々を邪魔者として扱うか、それとも、社会の功労者としてお知恵を頂戴し、引き続き社会に参加していただくのか。
僕は間違いなく後者派です。
いま僕らが不自由のない生活が出来ているのは、自分たちよりも上の年代の方々が血と汗と涙でもって頑張ってくれたからですよね。
そんな方々に対して、十分な年金を与えない、人と接する機会を与えない、自分たちが作り上げた不自由のない社会を享受出来ない、というのは、個人的には「ありえない」事です。
僕はご老人や障がいを持った方々と多少なりの接点・おつきあいがありますが、彼らを見ていて思うのが、
社会の一員と捉えられない事ほど辛い事はない
という事です。
障がい者と言えども、ご老人と言えども、人と接したいし、社会の一員として役に立ちたいし、そこに生きる力を見出すんです。
ビジネスの世界でもクリエイティブの世界でも、65歳以上の方々はほとんど出番がありませんが、まだまだお手伝いいただける事はあるのではないでしょうか。
ちょっと話が飛躍しすぎました(笑)。
すみません。
2008年10月5日日曜日
007 ギター弾きの恋
主演:ショーン・ペン
1999年 アメリカ
ウディ・アレン監督の近年の傑作ですね。
ちなみにサントラは最高です☆
この作品で僕が面白いなぁと思ったのが、ドキュメンタリー・タッチの作り方です。
手持ちカメラでリアリスティックに撮る、、、という事ではなくて、実在の人物へのインタビューを通して、架空の主人公エメット・レイ(ショーン・ペン)の人物像をあぶり出す、というアイデアが、おかしなリアリティを出しているんですよね。
この「プチ・フェイク・ドキュメンタリー的要素」という人を小馬鹿にした構成が、視聴者に不快感を与えたかと言えば、多分そんな事ない。
逆に、妙な現実感と娯楽性をプラスさせて、エメット・レイがただの映画の登場人物と分かっていながら、まるで本当に実在した人のような感覚がにじみでるんです。
これはぜひビジネスの世界でも使って欲しい手法ですね。
各企業は商品、サービスにキャラクターを使ったり、ネーミングに擬人性を出したりしていますが、そこに「プチ・フェイク・ドキュメンタリー的要素」を入れたら面白いんじゃないかと思うんです。
例えば、「カールのおじさん」を知る人達にインタビューをしてみるとか、「カールのおじさん」には実はモデルとなっている人物がいてその人を探せ、みたいな企画をウェブでやってみるとか(笑)。
ドコモダケを初めて日本で見つけたキノコ職人・山川新一さん(72歳)のお話を聞いてみたり(山川新一さんはもちろん架空、笑)、ダスキンを開発した伝説的人物を作り上げて(もちろん架空)、ドキュメンタリーを展開してみたりすると、面白いと思いませんか?
いまアメリカのYouTubeでは、おもしろビックリ映像をバイラル化させて知らず知らずのうちにプロモーション・マーケティングするという手法が注目されています。
例えばこんなの。
▼Blendtec社 - Will It Blend? - iPhone
▼Rayban社 - Guy catches glasses with face
▼Levi's社 - Guys backflip into jeans
こういうのがアリだったら、山川新一さんのドキュメンタリーもありだと思うんだけどなぁ(笑)。
どうでしょう???
2008年9月25日木曜日
006 ボビー
主演:アンソニー・ホプキンス
2006年 アメリカ
素晴らしいです。「マグノリア」並に優れた作品です。
JFKはよく知られていますが、その弟、ロバート・ケネディ(ボビー)は日本ではあまりなじみがありませんが、この作品を見ると、1968年当時、どれだけアメリカ人にとって重要な存在だったかが分かります。
この作品からは、歴史的な人物・ヒーローが芸術、娯楽、そしてビジネスにどれほど大きなインパクトをもたらすかが学べるのではないかなーと思います。
本作のボビーは、主人公ではありません。
彼自身は登場せずに、彼を「時代の象徴」として扱い、彼を取り巻く20人近くの一般人の一夜のドラマを描いた群像劇です。
つまり、ボビーは1968年という混乱期の「希望」というメタファーなんですよね。
歴史にはたくさんの偉人・ヒーローが登場します。
これをビジネス、クリエイティビティに活かしてはいかがでしょうか?
僕の大好きな坂本龍馬、織田信長、源義経、、、、数えきれないくらい「ネタ」はあります。
今までも、アインシュタイン、エジソン、ゴッホ、松尾芭蕉、徳川家康などなど、たくさんの歴史上の人物がコマーシャルで登場し、各企業のメッセージを伝えるメタファーとして、ビジネスにうまく活用されてきました。
JFKも某カメラ・メーカーで使われた事がありますね。
「信長式記憶法」なんてネーミングしてみると、速攻でアグレッシブに記憶できそうなイメージがするし、「ソクラテス・ソメッド」というネーミングは何だか頭が良くなりそうな感じがします。
「ケネディ式スピーチ法」、「西郷弁当」、「静御前の愛した白桃」などなど、たくさんありそうです。
その他、「シーザー・サラダ」、、、、ああ、これはあるか(笑)。
皆さんの会社、商品、サービス、、、、偉人に例えると、誰になりますか?
2008年9月15日月曜日
005 マーダーボール
本作は珠玉の障がい者ドキュメンタリーです。
この作品がいままでの障がい者ドキュメンタリーと根本的に違うのは、障がい者を扱いながらも、堂々と「娯楽」作品にしている事です。
福祉関連のジャンルは、非常に繊細なテーマなので、
僕自身、
だから多くのフィルムメーカーは、
でも僕は、今の時代だからこそ、福祉は「
障がい者の方々とおつきあいしてみると、
本作「マーダーボール」は、身体障がい者によるラグビーを扱いながら、
福祉とエンターテインメント、全く結びつかないものだけに、
2008年9月5日金曜日
004 世界最速のインディアン
主演:アンソニー・ホプキンス
2005年 アメリカ・ニュージーランド
この作品はとにかく、アンソニー・ホプキンス演じる、バート・マンロー翁の魅力にノックアウトされちゃいます。
僕の敬愛する神田昌典さんから教えていただいた事ですが、
無垢、孤児、戦士、世話人、探求者、破壊者、恋人、創造者、
それぞれの意味合いを解説すると長くなってしまうので割愛します
人生を悟った年配の方は、とっっっっても自然体で、
それは、長嶋茂雄さん然り、ダライ・ラマ14世然り、自然体な「
実はこの「自然体」
自分に正直に生き、自然体である事によって、自分との対話、
そういう僕は自然体でいる事が非常に難しいテーマではあるんです
一般的には悟りを開いた人は「賢者」だと思われがちですが、
「スターウォーズ」のヨーダや「ロード・オブ・ザ・リング」
2008年8月25日月曜日
003 フラガール
主演:蒼井優、松雪泰子
2006年 日本
感動しました。
根本的なストーリーは非常にクラシックでオーソドックス。
脚本家を目指す人には基礎中の基礎として勉強になる要素がたくさん詰まっていると思います。そこに昭和ノスタルジーと、相反するハワイアンというキーワードを入れたのが実に上手いですね。
この作品の主人公は、「見捨てられた人々」です。
舞台となる福島県いわき市は炭坑の町。
時代の流れで炭坑は徐々に閉鎖され、労働者はどんどん首を切られていきます。
松雪泰子さん演じる、ダンスの先生は、どうやら東京の劇団で上手くいかずに福島県に流れ着いた負け犬。彼女からダンスを学ぼうとする、蒼井優ちゃん演じる少女も、夢を追いかけるために、なかなか理解してもらえず、母親から見捨てられてしまいます。
というように、登場人物の多くが、「見捨てられた人々」なんですね。
ここに、2006年の観客の「共感」が詰め込まれているのではないかと思うんです。
2001年から始まった小泉改革は、蓋を開けて見れば、弱者切り捨ての二極化社会を作り上げました。つまり、2001年以降、たくさんの人が「見捨てられて」しまったんです。
二極化社会は、価格の二極化も作りました。
2001年以降、売れるものは極端に高いものか、極端に安いもの。
プライベートブランドの商品が注目されたり、アウトレットモールが乱立したり、今では「激安」の商品が山のように並んでいます。
今もなお低所得者層が増えている現在、「見捨てられた人々」は巨大な「ターゲット」であり、「マーケット」じゃないかと思うんです。しかし、この「見捨てられた人々」をターゲットにした安い商品も、価格競争だけでは市場で勝ち残れない時代がきていると思います。
そこで勝ち残っていくのは、
「見捨てられた人々が背水の陣で作り上げた商品」
であったり、
「見捨てられた人々が最後の想いを賭けたサービス」
というような、ストーリーのある商品やサービスが、人々の共感を誘う差別化要因になるのではないかなー、と思います。
でも、本当は、「見捨てられた人々」のいない世の中を作りたいものです。
個人的には二極化反対です。
2008年8月15日金曜日
002 スタンドアップ
史上初のセクハラ裁判の発端になった炭坑会社での戦う女性を描いたストーリーですが、脚本、演技、演出、映像、、、と、とってもハイクオリティで、そして「泣ける」社会派映画としてうま〜くまとまっていると思います。特に女性は必見ですね。
この映画からは、メタファーの大切さを改めて学べました。
「思考の最上の形式は、論理でも分析でもなく、メタファー(暗喩)である。メタファーの天才が本当の天才。」
というような事を言われたそうですが、どうやら、多くの人に支持される物事は、メタファーという概念と、切っても切れない縁があるような気がします(一番の代表例が「太陽」を使った日本国旗かもしれませんね)。
そして「スタンドアップ」はたくさんのメタファーをストーリーにうまく食い込ませている点が、とてもクリエイティブだと思いました。
原題の"North Country"という、寒い雪国で行われる非人間的な行為、そこにいる炭坑夫の男達は、石炭のようにどす黒く、古くて頭が固い。日本版タイトルの「スタンドアップ」は、本編中のとても重要なシーンの内容ですが、様々な立場のキャラクターにとっての「スタンドアップ(立ち上がる)」だったりするわけですね。
シャーリーズ・セロン演じる主人公の女性にとって、父親のいない息子の存在は嫌な過去を思い出させる存在であったり、、、、という感じで、ある物事・シーン・存在に、本来の意味とは別の意味が存在している事が、ひじょ〜に多い映画のような気がしました。その他にもたくさんあったんですが、、、、もう忘れてしまいましたね(笑)。
このように、映画というのはたっくさんのメタファーから出来上がっていて、それは何も映画だけでなく、生活の中には無数のメタファーがあり、無意識のうちに、「それってイイ!!」となる事には、メタファーが絡んでいる事が多くあります。
ようやく始まったオリンピックに多くの人が熱狂するのは、それが単なるスポーツではなく、夢や感動と言った別のメッセージがあるからであり、多くの人が長年のローンを組んでまで家を購入したいと考えるのは、それが「住む場所」以上の論理と感情という「メタファー」が渦巻いているからですよね。
このメタファーという概念はビジネスでも全く同じで、車は人によって別の意味があり、チョコレートに告白の意味が付加されたり、、、という感じで、メタファーを意識した商品開発、企画、ネーミングなんかを考えてみると、役立つかもしれません。
まずは机の周りにあるメタファーを探してみませんか?
結構、良いアイデアが浮かぶと思いますよ。
2008年8月5日火曜日
001 崖の上のポニョ
原作・脚本・監督:宮崎駿
2008年 日本
「表面的にはかわいく見えるけど、実はとても恐い映画だ」と友人に言われ、見に行ってみました。
なるほど。。。。これは確かに非常に恐い映画です。
まるで満面の笑みで「人類は滅亡しますよ」って言われるみたいな(笑)。。。
この映画は宮崎作品の中では異色作と言われるでしょうけれど、時間が経つに連れて評価されるようになる作品ではないかなぁとも思います。
やっぱり宮崎監督の創造力には驚かされます。
僕もそれなりに映画を見て来ているつもりですが、アイディア、コンセプト、構成、、、その多くが今までこの世に存在していなかったものであり、「まだまだあるかぁー」と思わされます。
この物語は、当の昔に「人間」というレベルを超えて海の神になった「藤本」 (なぜか日本人名、笑)と女神の間の「神の子」であるポニョが、神という身分を捨てて愚かで残虐な人間になり、人類滅亡の危機を救う「神話」なんだと思います。
その重いテーマを「ポーニョ、ポーニョ、ポーニョ、さかなの子♪」な〜んていう歌と共に、絵本タッチでかわいらしく描いているので、「ポニョが人間になる話」として単純に片付けられる可能性はあるかもしれませんが、実のところは宮崎版「ノアの箱船」で、シーン、キャラクター、それぞれに様々な解釈が出来るので、この作品は見れば見るほど、左脳と右脳の情報交換が激しくなりそうです。
この作品で特に印象に残ったのが、大洪水ですべてが水の中に埋もれてしまったのに、当の人間たちは全く危機感がなく、ごくごくフツーなんですよね。
これはおそらく、環境が危機に瀕しているのに、全く気づかずにのほほーんと過ごしている現代日本人そのままなんですよね。
こういう表現方法があるのかーと、個人的には結構衝撃を受けました。
この作品では、宮崎監督流の「娯楽映画理論」と、映画が人に与える影響について、再び考えるきっかけになりました。
宮崎監督は対談本の『風の帰る場所』(発行:ロッキング・オン)において、「真の娯楽とは、入り口を広くし、敷居を低く設けておいて、出口では期待していなかった方向に観客を啓蒙すること」というような事を書かれていました。
僕の中ではこの思想が今でも「娯楽映画のあるべき姿」として哲学になっているんですが、宮崎監督の巧妙なところは、一見、子供向けの作りをしていて(=広い入り口を設けておいて)、実のところ、深〜いテーマを忍ばせ、その哲学を優れたイメージで子供達の潜在意識に植え込もう(=期待していなかった方向に観客を啓蒙)という試みでしょう。
彼の作品はいつも概ねそうですが、かわいらしい作りをしつつも、中身はしっかりとした現代人批判であり、これからの人類のあるべき姿を明確に描いている(結局は神頼みな事が多いですが)。
これを今の子供たちが見たら、そのかわいい外見から、ビジュアルを素直に受け入れると同時に、裏のテーマもしっかりと脳の深いところに植え付けられるんだと思うんです。
よくよく考えれば、彼が20数年前に発表した「ナウシカ」と「ラピュタ」も冒険娯楽活劇の様相を呈しながら、実のところは現代人批判と環境保護を訴えており、このテーマを子供の頃に潜在意識に植え付けられた僕ら、70-80年代生まれの多くは、2008年現在、環境に対する意識が上の世代よりも高くなっているんじゃないか、、、と言うのが僕の印象です。
宮崎監督は天才的に表現方法が上手いから、見方を変えれば究極のマインド・コントロールになるわけですね。
これはちょっと危険な事だと言えなくもありませんが、最高級の表現方法という言い方もでき、分かり易い入口と明確なテーマを持った出口を用意する、という宮崎流娯楽思想は、多くのビジネスマンにとって、商品・サービスを顧客の潜在意識にアピールするための重要なヒントが詰まっているのではないかなーと思います。